伝統工芸について

焼物の技法1

焼物の技法1

焼物にはいろいろ様式があります。このコラムでは焼物の様式を何回かに分けて解説する予定です。 【京薩摩】1867年に薩摩藩がパリ万博に出品した薩摩焼が絶賛される。京薩摩は明治・大正期に京都において制作された薩摩金襴手様式の陶器。象牙色の素地に施された精緻な金彩色絵と洗練された意匠が特徴。 【金襴手】色絵の上に金彩色を施した磁器 【交趾 (こうち)】 中国南部で生産された陶磁器の一種。ガラスと同様の成分で鮮やかな色を発する焼き方。総じて黄、紫、緑、青、白、などの細かい貫入の入る釉薬のかかった焼き物。 【祥瑞 (しょんずい)】 【乾山様式】 【仁清様式】 【黒楽】 【赤楽】    

焼物の技法1

焼物にはいろいろ様式があります。このコラムでは焼物の様式を何回かに分けて解説する予定です。 【京薩摩】1867年に薩摩藩がパリ万博に出品した薩摩焼が絶賛される。京薩摩は明治・大正期に京都において制作された薩摩金襴手様式の陶器。象牙色の素地に施された精緻な金彩色絵と洗練された意匠が特徴。 【金襴手】色絵の上に金彩色を施した磁器 【交趾 (こうち)】 中国南部で生産された陶磁器の一種。ガラスと同様の成分で鮮やかな色を発する焼き方。総じて黄、紫、緑、青、白、などの細かい貫入の入る釉薬のかかった焼き物。 【祥瑞 (しょんずい)】 【乾山様式】 【仁清様式】 【黒楽】 【赤楽】    

南部鉄器(なんぶてっき)

南部鉄器(なんぶてっき)

 南部鉄器 【地域】 岩手県 ( 盛岡市 , 奥州市 )   【概要】 江戸の中期、南部藩主が京都から鋳物師を招き茶釜を作らせたのが始まりと言われている。 鉄を溶かして型に流し込んで整形する鋳造で作られる。型は大量生産向けの生型、てづくりで伝統的技法の焼型に分類される。鉄瓶制作の工程は80以上に分かれている。仕上げに本漆を手塗りして、おはぐろを塗る。 十三代鈴木盛久が人間国宝(選択保存技術)に認定された。 霰、糸目、桜門などの模様 外側をカラフルに着色し内部を琺瑯仕上げしたティーポット型の鉄瓶が国内外で注目を浴びている。

南部鉄器(なんぶてっき)

 南部鉄器 【地域】 岩手県 ( 盛岡市 , 奥州市 )   【概要】 江戸の中期、南部藩主が京都から鋳物師を招き茶釜を作らせたのが始まりと言われている。 鉄を溶かして型に流し込んで整形する鋳造で作られる。型は大量生産向けの生型、てづくりで伝統的技法の焼型に分類される。鉄瓶制作の工程は80以上に分かれている。仕上げに本漆を手塗りして、おはぐろを塗る。 十三代鈴木盛久が人間国宝(選択保存技術)に認定された。 霰、糸目、桜門などの模様 外側をカラフルに着色し内部を琺瑯仕上げしたティーポット型の鉄瓶が国内外で注目を浴びている。

益子焼 (ましこやき)

益子焼 (ましこやき)

益子焼 【概要】江戸時代後期に大塚啓三郎が笠間焼の田中長平を指導者として招き入れ創始。当時、関東の焼物は笠間焼だけであり、生産を伸ばす。その後生活様式の変化、粗製濫造で一時衰えるものの関東大震災後復興需要で復活。その後、濱田庄司が定住し民藝の焼物で有名になる。濱田庄司の流れをくむ民芸的な焼物や独自色の強い焼物など様々な分野の焼物が作陶されている。産地は栃木県の真岡市、芳賀郡益子町、市貝町、茂木町など。笠間からも近い。人間国宝に濱田庄司、縄文象嵌の島岡達三がいる。技法は流掛け、流描き、柿釉、塩釉、練上手、縄文象嵌など多彩。現在窯元は約250、販売店は約50あり、様々な種類の焼物の生産販売が行われている。

益子焼 (ましこやき)

益子焼 【概要】江戸時代後期に大塚啓三郎が笠間焼の田中長平を指導者として招き入れ創始。当時、関東の焼物は笠間焼だけであり、生産を伸ばす。その後生活様式の変化、粗製濫造で一時衰えるものの関東大震災後復興需要で復活。その後、濱田庄司が定住し民藝の焼物で有名になる。濱田庄司の流れをくむ民芸的な焼物や独自色の強い焼物など様々な分野の焼物が作陶されている。産地は栃木県の真岡市、芳賀郡益子町、市貝町、茂木町など。笠間からも近い。人間国宝に濱田庄司、縄文象嵌の島岡達三がいる。技法は流掛け、流描き、柿釉、塩釉、練上手、縄文象嵌など多彩。現在窯元は約250、販売店は約50あり、様々な種類の焼物の生産販売が行われている。

波佐見焼

波佐見焼

【地域】長崎県 (世界最大の登り窯跡の最上部より) 【概要】豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に藩主大村氏が朝鮮から陶工を連れて帰り連房式階段状 登窯を築いたことに端を発する。長崎県の波佐見町、川棚町、東彼杵町。17世紀後半は東南アジア向けに輸出を行う。18世紀になると「くらわんか手」という廉価な日常食器の大量生産が始まる。当時の中尾上登窯は全長160mを超え世界最大の登り窯であった。江戸時代の終わりごろから明治大正にかけてコンプラ瓶という海外輸出用の酒や醤油を入れる瓶が生産される。このように波佐見焼は高価であった磁器を大規模な登窯を築窯することによって、低価格化に成功。磁器の普及に貢献した。透かし彫りの福本正則が有名。技法は呉須、線彫り、透かし彫り、浮彫り、飛びかんな、イッチン、編み上げ手、ほたる手、はり付け、櫛目、印花、墨はじきなど様々な技法。年間の観光客は80万人その約4割が春の陶器市に訪れる。特徴がないのが特徴と言われるように様々な種類の焼物を生産。   【技法】 染付(そめつけ) 染付は、磁器の加飾技法の1つで、白地に青(藍色)で文様を表したものを指す。中国・朝鮮では青花と呼ばれる。釉下彩技法の1つである。釉下彩とは、磁器に釉薬(うわぐすり)を掛ける前の素地に文様を描く技法である。呉須(ごす)と呼ばれるコバルトを主成分とする絵具が使われる。一般的には、磁土を一度素焼きしてから、呉須で図柄を描き、その上から透明釉を掛けて再度焼成(本焼き)する。呉須は焼成後は青(藍色)に発色する。ただし、日本の初期伊万里の磁器のように、素焼きをしていない素地に呉須で図柄を描き、その上から透明釉を掛けて焼成する技法(生掛け)もある。この技法は中国元時代の景徳鎮窯で創始され、朝鮮、日本、ベトナムなどに広まった。日本では17世紀に伊万里焼が作り始めた。 (wikipedia) 線彫(せんぼり) 凹線を素地にじかに彫り付ける技法。釘彫、ヘラ彫、ロクロ線彫などある。 イッチン 土をしぼりだしながら、表面に直接文様を描く方法。イッチンともいいます。白泥を用いる場合は特に白堆ともいいます。 飛び鉋(とびかんな),トチリ 生乾きの素地を破線状に削って文様を施すこと。ろくろの上に生素地をおき、回転している素地に弾力性のある鉋(かんな)や箆(へら)をあてると、飛び飛びに素地の表面が削られる。よって飛び鉋、踊り箆(おどりべら)、撥ね箆(はねべら)などと呼ばれる。信楽ではトチリとも呼ばれている。 印花(いんか) 文様の型を素地に押し付ける方法。型の全面に文様を表して一度に押し付けるもの、小さなスタンプを使って押していくもの、筒状の型を回転させていくものなどがあります。型押しともいいます。 透掘り(すかしぼり) 文様の周辺部分をくりぬいて表す方法。別作りした透彫りの部分を器表に張り付ける方法もあります。  【波佐見町】

波佐見焼

【地域】長崎県 (世界最大の登り窯跡の最上部より) 【概要】豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に藩主大村氏が朝鮮から陶工を連れて帰り連房式階段状 登窯を築いたことに端を発する。長崎県の波佐見町、川棚町、東彼杵町。17世紀後半は東南アジア向けに輸出を行う。18世紀になると「くらわんか手」という廉価な日常食器の大量生産が始まる。当時の中尾上登窯は全長160mを超え世界最大の登り窯であった。江戸時代の終わりごろから明治大正にかけてコンプラ瓶という海外輸出用の酒や醤油を入れる瓶が生産される。このように波佐見焼は高価であった磁器を大規模な登窯を築窯することによって、低価格化に成功。磁器の普及に貢献した。透かし彫りの福本正則が有名。技法は呉須、線彫り、透かし彫り、浮彫り、飛びかんな、イッチン、編み上げ手、ほたる手、はり付け、櫛目、印花、墨はじきなど様々な技法。年間の観光客は80万人その約4割が春の陶器市に訪れる。特徴がないのが特徴と言われるように様々な種類の焼物を生産。   【技法】 染付(そめつけ) 染付は、磁器の加飾技法の1つで、白地に青(藍色)で文様を表したものを指す。中国・朝鮮では青花と呼ばれる。釉下彩技法の1つである。釉下彩とは、磁器に釉薬(うわぐすり)を掛ける前の素地に文様を描く技法である。呉須(ごす)と呼ばれるコバルトを主成分とする絵具が使われる。一般的には、磁土を一度素焼きしてから、呉須で図柄を描き、その上から透明釉を掛けて再度焼成(本焼き)する。呉須は焼成後は青(藍色)に発色する。ただし、日本の初期伊万里の磁器のように、素焼きをしていない素地に呉須で図柄を描き、その上から透明釉を掛けて焼成する技法(生掛け)もある。この技法は中国元時代の景徳鎮窯で創始され、朝鮮、日本、ベトナムなどに広まった。日本では17世紀に伊万里焼が作り始めた。 (wikipedia) 線彫(せんぼり) 凹線を素地にじかに彫り付ける技法。釘彫、ヘラ彫、ロクロ線彫などある。 イッチン 土をしぼりだしながら、表面に直接文様を描く方法。イッチンともいいます。白泥を用いる場合は特に白堆ともいいます。 飛び鉋(とびかんな),トチリ 生乾きの素地を破線状に削って文様を施すこと。ろくろの上に生素地をおき、回転している素地に弾力性のある鉋(かんな)や箆(へら)をあてると、飛び飛びに素地の表面が削られる。よって飛び鉋、踊り箆(おどりべら)、撥ね箆(はねべら)などと呼ばれる。信楽ではトチリとも呼ばれている。 印花(いんか) 文様の型を素地に押し付ける方法。型の全面に文様を表して一度に押し付けるもの、小さなスタンプを使って押していくもの、筒状の型を回転させていくものなどがあります。型押しともいいます。 透掘り(すかしぼり) 文様の周辺部分をくりぬいて表す方法。別作りした透彫りの部分を器表に張り付ける方法もあります。  【波佐見町】

九谷焼

九谷焼

【地域】石川県  【概要】17世紀の中頃、藩の殖産政策として始められる。有田に学んだ陶工に藩主が焼かせた江戸前期の古九谷、後期の再興九谷、明治以降の近代九谷、現代九谷と時期によって作風が分類される。石川県南部の金沢市、小松市、加賀市、能美市で生産される。日本を代表する磁器の産地である。九谷陶芸村では、問屋、美術館、ショップ、体験コーナ、ギャラリーなど様々な施設が集約している。ゴールデンウイークに茶碗まつりが行われる。 人間国宝に彩釉磁器の徳田八十吉、釉裏金彩の吉田美統、文化勲章を受賞した浅蔵五十吉などがいる。 技法は白地を塗りつぶす青手と色絵に分類される。色絵には黄・緑・青・赤・紫で描かれた五彩手、それに金色を入れた金襴手などがある。細字、青粒、釉裏金彩など新たな技法も生まれている。素材は木地は地元産の花坂陶石を使う。

九谷焼

【地域】石川県  【概要】17世紀の中頃、藩の殖産政策として始められる。有田に学んだ陶工に藩主が焼かせた江戸前期の古九谷、後期の再興九谷、明治以降の近代九谷、現代九谷と時期によって作風が分類される。石川県南部の金沢市、小松市、加賀市、能美市で生産される。日本を代表する磁器の産地である。九谷陶芸村では、問屋、美術館、ショップ、体験コーナ、ギャラリーなど様々な施設が集約している。ゴールデンウイークに茶碗まつりが行われる。 人間国宝に彩釉磁器の徳田八十吉、釉裏金彩の吉田美統、文化勲章を受賞した浅蔵五十吉などがいる。 技法は白地を塗りつぶす青手と色絵に分類される。色絵には黄・緑・青・赤・紫で描かれた五彩手、それに金色を入れた金襴手などがある。細字、青粒、釉裏金彩など新たな技法も生まれている。素材は木地は地元産の花坂陶石を使う。

漆器くにもと

高岡漆器

高岡漆器 【概要】江戸時代の初期前田利長が高岡城を築いた際に日用品をつくらせたのが始まりと言われている。産地は富山県高岡市。中国から伝わった堆朱、堆黒等の技法に加え、彫刻塗、錆絵、螺鈿、存星など様々な技法が使われている。

高岡漆器

高岡漆器 【概要】江戸時代の初期前田利長が高岡城を築いた際に日用品をつくらせたのが始まりと言われている。産地は富山県高岡市。中国から伝わった堆朱、堆黒等の技法に加え、彫刻塗、錆絵、螺鈿、存星など様々な技法が使われている。