第3回 観光DX研究会の議事録を公表いたしました

第3回 観光DX研究会の議事録を公表いたしました

 

観光DXWEBサイト

第3回 2022年10月17日開催 配布資料  議事録

株式会社ユウシステム 代表取締役社長 入江 英也様                   

アーモンド株式会社 代表取締役 松田亜有子様

LINE株式会社 Technical Evangelism Team Manager 比企宏之様

サムライアーティストかむゐ  代表 島口哲朗様

 

======以下公演全文=====

  • 講演
  1. 入江 英也 地域のDX化を支える地域人材の育成

株式会社ユウシステム 代表取締役社長

【業務内容】 

  • 産学官研究
  • 業務改善システム(人材派遣業向けパッケージシステム「SmartStaff」等)
  • Webシステム構築(アクロス福岡、福岡コンベンションセンター、アジアマンス福岡 等)
  • その他システム(イーケイジャパン様エレキットソフト 等)
  • ホスティングサーバ
  • プログラム、サーバ教育事業

株式会社スマートスタッフ 代表取締役社長

国⽴佐世保⼯業⾼等専⾨学校基幹教育科准教授 EDG キャリアセンター副センター⻑

  • 九州⼯業⼤学 制御システム⼯学科在学中に起業。現在では福岡、中国、タイ、フィリピンの 4拠点で事業を展開
  • 政府の「クロスアポイントメント制度」(⼤学や公的研究機関、企業など⼆つ以上に雇⽤され、研究・開発、教育に従事することを可能にする制度)を活⽤し 19 年より佐世保⾼専に勤務
  • ⼈⼯知能・AI が専⾨

 

【経歴】

  • 73年生まれ49歳。地元の熊本高専卒業後国立大学に編入。在学中(大学3年次)に起業。その後MBAを取得。現在も母校で博士課程履修中。現在、IT企業であるユウシステムの経営および医療ベンチャーのCTO
  • 教員としては、佐世保高専准教授、母校である熊本高専の特命客員教授、熊本大学の大学院の客員教授
  • 経営しているユウシステムは福岡、上海、バンコク、マニラの4拠点。
  • 2019年に高専初の兼業教員として経営者のまま佐世保高専に着任2015年にできた政府のクロスアポイントメント制度の高専における最初の適用事例)。
  • 現在は週2回の勤務。情報工学、プログラミング、AIなど4学科の授業を行っている。
  • それと並行し高専生の、①アントレプレナーシップの醸成、②グローバルマインドの育成、③地域との連携の仕組みづくりにも取り組んでいる(各高専で連携づくりは実施されているものの特定の先生に依存してしまいシステム化に成功しているところは少ない)。
  • 研究者としてはデータマイニングが専門。農業におけるIoTデータの利活用等をテーマとしている。

 

【高専に関して】

 

日本型高専教育の海外展開

  • 19年にタイ高専が王立のキングモンクット大学の中にできた。
  • モンゴル、タイ、ベトナム等の国を対象に、日本型高等専門学校教育制度のリソースを各国のニーズに応じて支援。海外展開の拠点としてリエゾンオフィスを設置し、各国政府機関・教育機関等と連携しながら、各国の技術者教育の高度化を支援している。(p25〜27)

 

EDGE

  • 佐世保高専は「Enhancing and Development of Global Entrepreneurship」(EDGE)を推進。本校の研究開発成果を基にしたベンチャーの創業、既存企業による新事業の創出促進等のイノベーション創出を活性化させ、国際的に活躍できる人材の育成を目的としている。高専生のグローバルとアントレプレナーシップを強化する取り組みである(エッジキャリアセンターニュース)。
  • 課外活動に国からの予算は一切つかないので基金EDGEキャリアセンター基金)を作って運営している。毎年約200万円(ユウシステムも出資)の基金で運用。交通費等に補助しているものの潤沢という状況ではない。佐世保市役所と3年間交渉の結果、今年度より、ふるさと納税の利用を開始ふるさと納税を活用して、返礼品を貰いながらEDGEセンターに寄付ができるという日本でも初めての取り組みが実現する。初年度500万円を見込む。基金の活用法として、①海外に行く学生の3050%補助、②参加生徒数の増加への対応などを計画。
  • 基金200万円、ふるさと納税500万円に加え、地場企業からの寄付を500万円集め合計で1200万円集めて、これを原資にして「稼ぐ高専」を目指す。
  • 今後、「稼ぐ仕組み」を地元の高専で実現した後に、これをシステム化して全国展開したい。このことによって様々な地域でグローバルに活躍する人材を育てたいと考えている。

EDGE その1 アントレプレナーシップ】

  • アントレプレナーシップの醸成に関しては、①ビジコンへの参加、②縦学年間の連携、③卒業生からの支援などを通じて実施している。その結果、アフリカハッカソンの参加、高等専門学校ディープラーニングコンテスト高専ワイヤレスIoTコンテスト(WiCON)21年には総務大臣賞を受賞)など結果をだしている。
  • 佐世保高専出身者には、①Cygames(売上高2221億円、経常利益907億円、株主サイバーエージェント)の渡邊耕代表取締役社長、②アカツキ(売上高262億円、経常利益78億円、東証プライム)の香田哲朗社長などがいる。このような成功したOBと起業した学生の連携を行いDX、デジタル系の起業家を増やしていく取り組みを行っている。今年で3年目となり、3社の起業家が生まれた(アグリテックを推進するLAplust、音から景色を創造する音解析技術を用いて地域に根付いた問題の解決と、音景解析技術の発展を目指すwavelogy など)。
  • 全国的な事例としてはサムライインキュベートとの連携事業がある(同社は竹原市に2021年に地方拠点を開設し、高等専門学校の学生を対象にした起業家教育を始めた)。
  • 竹原市、広島商船高専、ReGACY Innovation Group(サムライインキュベートからのスピンアウト企業)の3社で高専インキュベート委員会を組成。これは全国の高専生向けのプロジェクトで、高専生達が日頃学んでいる専門分野の知識や技術を活かしながら、地域や身の回りの課題解決につながる事業構想を行う。 この活動を通じて、起業家、経営者、リアルテック系のスタートアップのCTO人材、事業家の目線を持った先端プロダクトエンジニア人材の育成を加速化させている。
  • 2022年は 広島商船高専、佐世保高専、秋田高専、呉高専、北九州高専、阿南高専、熊本高専、鹿児島高専の8高専が参加。入江は佐世保高専、熊本高専を担当。
  • また、技術のある高学年生は仕事レベルのことができるので、WEBサイトの構築・リニューアルなど地元企業の実業務支援にも積極的に関わらわせ仕事人としてのマインドを育成している。

 

EDGE その2 グローバル化】

  • コロナ直前には上海研修や、ユウシステムのマニラオフィスで2名のフル英語でのインターンシップを実施していた(229月より再開)。
  • ガンホー創業者の孫泰蔵氏(孫正義の弟)との勉強会を長崎の出島で不定期開催。グローバルな視点でアントレプレナーシップを学んでいる。

 

EDGE その3 地域連携】

  • 佐世保高専では、地域の小中学校や団体を対象に、科学技術や人文・数理科学等への興味や関心を高めること目的として、「出前授業」を実施している(授業一覧)。元々教員が行っていた。ここに対価をつけ、講師だと時給5,000円、サポートだと1,500円のアルバイト代を生徒に支払う(地元の標準的な時給の講師は約5倍、サポートは約2倍)。この活動の目的は、①技術を対価に変えることを早く体験してもらうこと、②地域の子どもたちにモノづくりの面白さを伝えてもらうことなどである。
  • 地元の社会課題を技術による解決の取り組みとしては、棚田の耕作放棄地のIoT化による作業軽減の実証実験を実施中。
  • 地域コミュニティづくりの一環として、①文系大学、②地元企業、③スタートアップ企業等と連携している。

 

神山まるごと高専(徳島県神山町)234月開校予定 私立高専)】

 

【コメント】

佐藤 日本は画一した教育をおこなってきたこともあり、起業家を育てる教育を実施するのは容易でない。磐梯町では保育所および幼稚園から中学校までの児童福祉・学校教育行政を実施している。高校はない。教育によりどうその時代に子どもたちを変えていくのかということが大きなポイントである。行政は生まれてから死ぬまで住人をサポートする。しかしながら、一番大事なのは生まれてから子どもたちが育っていく家庭環境の中で、どういうような教育をしていくのかということである。起業家教育に関して高校・高専における取り組はとても大切である。しかしながら、小さい時からの積み重ねはより重要で、幼稚園・小学校・中学校で考え方・仕組みを根付かせていくことは非常に大事であると思っている。一方、小学校、中学校は県が人事を行うので幼稚園の考え方を伝えることが困難であるという現状もある。行政も民間から入ったとき大変だと思ったが、でもそれ以上に教育は変えてくことが困難な環境がある。それでも大きく変えていくということが必要であると思っている。神山町において新高専が設立されたこと、通信制の高校にも注目している。

 

松尾 長崎県の新産業創造課でスタートアップの支援、新規ビジネス創出をしている。本日の議論で提示された、「佐世保高専の実施していること」、「コンサートがどういうものであるかを伝えることの難しさ」、「時間が感動を呼ぶ」、「CX(顧客満足度)を高めることが重要」、「精神性のような目に見えないものを伝える・感じさせるアプローチが必要」などは観光DXを考える上でキーワードとなる。観光を考えたとき、「発信側である地方」と「受け手側である都市部」の、どちら側にも「思いを伝える・共有できる通訳」のようなコーディネート役が必要でると感じる。多くの自治体と同様に長崎も人口が減少しているので発信側のマンパワーの縮小は課題である。しかしながら、長崎県出身で都市部に居住している方々に協力してもらい、受け手側(都市部)にいる潜在顧客に対して「思いを伝える・共有できる通訳」のような役割をやってもらうことも可能ではないか。このようなことをプラットフォーム化すると観光DXはもっと進展するのではないかと思う。

以前小値賀町(人口2,300人を切っている)に2年間、赴任していた。小値賀町は17の島々で出来ている。五島列島の一番北で最も小さい小値賀町で国際音楽祭を19年連続で実施している。東京芸術大学教授の青柳晋氏が音楽監督をつとめる。一流の講師陣が小値賀島に集まり、島の各所でコンサートが行われる。クラシックコンサートのほか「マスタークラス」も開校される。世界遺産の構成資産のひとつになっている野崎島の集落跡にある旧野首教会で行われるコンサートは目玉のひとつ。野崎島は本島である小値賀島東端の2キロ東に位置する。現在は宿泊施設の管理関係者以外、ほぼ無人状態の島である。旧野首教会は、島の中央部の丘の上にあるレンガ建築の小さな教会。「野首集落」は潜伏キリシタンが移り住んだと言われる集落で、信仰が深かった地域とされている。貧しい暮らしの中、キリシタンが力を合わせて数年かけて建設した教会であり、キリシタンの崇高な精神性の象徴ともいえる。この教会に廃校のピアノを職員らが運び入れて、ステンドグラスの神聖な光の中でコンサートを実施した。

(松尾様は横断的なコメントだったのでここに全文を記載)


 

2.松田亜有子

アーモンド株式会社 代表取締役

株式会社経営共創基盤(IGPI) 顧問

公益財団法人群馬交響楽団 理事

深圳交響楽団 国際広報マーケティング部長

東アジア文化都市2022大分県実行委員会  顧問

  • 活水女子大学音楽学部ピアノ・オルガン学科を首席で卒業後、長岡市芸術文化振興財団にて企画・広報に従事。その後、東京フィルハーモニー交響楽団を経て、日本郵政株式会社のCSR担当として具体的活動の企画立案・実現に取り組む。
  • 経営共創基盤(IGPI)に参画後は、大手事業会社のCSR活動推進や、IGPIが出資支援している岩手県北自動車株式会社、福島交通株式会社、茨城交通株式会社旅行部門の事業成長支援に尽力する。
  • 2013年に東京フィルに戻り、「創立100周年記念ワールドツアー」「日韓国交正常化50周年記念公演」「日中国交正常化45周年記念公演」など、各公演の広報渉外統括責任者として世界各地への広報や、主催者・協賛者との交渉 を務める。
  • 2018年11月、国内外の音楽家を巻き込んだクラシック音楽の企画・渉外などを手がけるアーモンド株式会社を設立し、現任。

著書『クラシック音楽全史』『クラシック名曲全史』(ダイヤモンド社)

 

【なぜ音楽の道を志したのか】

  • 1975年1月山口の下関市生まれ。高校生の時のピアノの先生がラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を演奏した。演奏終了時2000人以上の会場が一瞬静まり返り、その後大きな拍手が起きた。この時に、これほどまでに人を感動させる音楽とは何かということを学びたいと思った。日本には芸大、桐朋の2大音大があり、桐朋の先生に習っていた。
  • ピアニストの道を進むことよりも、人に感動を与える音楽を知りたかった。クラシック音楽の根底にはキリスト教があり、キリスト教の学校で学ぶのが良いのではないかという母親のアドバイスもあり長崎のオランダ坂の上にある非常に古いミッションスクールである活水女子大学で勉強をした。途中、ドイツのフライブルク音楽大学にも留学をした。活水時代は図書館にある音楽関係の本は全部読み尽くした。ここで三善晃氏の『遠方より無へ』というエッセーに出会う。日本語で読む本がなくなったので英語やフランス語やドイツ語の本を、辞書をひきながら勉学に勤しんでいた。
  • 総代で卒業後、新潟の長岡市の長岡市芸術文化振興財団でキャリアをスタート。そこの芸術監督であり世界的な作曲家である三善晃のもとで音楽事業企画をやりたいと思ったからである。ここで自分が演奏するのではなく、「演奏家のことを伝え顧客に来てもらう」という仕事を徹底的に学ぶ。長岡リリックホールであれば700席、オペラシティであれば1569席の販売をするということである。
  • 多くの聴衆はクラッシクの知識はほぼなく、ベートーヴェンですら知られていない事実に気付かされた。そこで、チラシを作成し、足を使って営業活動を実施した結果、長岡市にも仲間ができコンサートホールも満員になっていった。
  • このような活動が知られることになり東京フィルハーモニーからスカウトされる。財団の後押しもあり長岡市で約1年8ヶ月仕事をした後に、26歳の時に東京フィルに移る。東京フィルでは広報渉外部に配属され、主任、課長、部長と昇進をする。

 

【割引に関する考え方】

  • オーケストラの会員になるとチケットを割引料金で購入できる。しかしながら、3ヶ月先の時間芸術を売る際に、2割引とう言い方は感動が2割減のように聞こえるため、言葉の使い方は非常に重要である。そのため、①会員になるとどれだけ得する、②公開リハーサルに参加できる、③アーティストに直接会える、など付加価値を伴う表現手段で顧客に伝えていた。

 

【社会生活における音楽の役割】

  • 東京フィルに移籍した時、東京フィルの会長がソニーの盛田昭夫氏、理事長が大賀典雄氏であった。大賀氏より日本の音楽業界に染まる前に海外を体験するように言われ、一年間ニューヨーク・フィルハーモニックで経験を積む(当時の常任指揮者はウイーン国立歌劇場の総監督をつとめ、史上最年少でバイロイト音楽祭にデビューした巨匠ロリン・マゼール)。
  • ニューヨークではオーケストラ・音楽が軸となってコミュニティの形成がなされていることを体現した。例えば下記のとおりである。①ウォール・ストリートの金融関係者が個人寄付・企業寄付をオーケストラに対して行っていること(アメリカは寄付社会でありオーケストラも個人の寄付で成り立っている 文化庁18年報告書)、②教育現場においても子どもたちに寄付文化を醸成する教育プログラムが実施されていること、③ビジネスマンにとってビジネスネットワーキングの場になっていること(そもそもクラシック音楽が最初にイタリアで誕生した時、劇場が外交の場でもあった)。
  • 一方、日本において芸術は社会の枠の外に位置づけられている。クラシック音楽は明治政府により導入された。東京音楽学校(現在の東京藝術大学)が明治20年に設立され伊澤修二が初代校長となる。その後、明治40年『尋常小学唱歌』の編纂のため、文部省によって東京音楽学校に唱歌編纂掛が設けられる(いわゆる文部省唱歌)。しかしながらクラシック音楽は、西洋において400年以上の歴史を通って普遍的な価値を持つに至る。その間に、さまざまな宗教戦争や民族戦争で多くの血が流れていることに対して日本ではそうしたプロセスは一切なく、ある日突然キリスト教世界の音楽が入ってきた。三善晃氏の『遠方より無へ』というエッセーに書かれていたことである。

 

【社会と音楽】

  • クラシックがより社会の枠の中に位置付けられ、音楽家も社会の中に入っていき、社会が音楽に近寄っていく世界を作っていくためには自身がクラシック音楽の世界だけにいるだけではなく、社会構造や経済を勉強しなければいけないと思い31歳のときに日本郵政グループに転職する。
  • 当時は日本郵政が民営化する時で、元住友銀行頭取の西川善文氏(第2代日本郵政公社総裁、初代日本郵政代表執行役社長)がトップであった。西川氏に東京フィルへの寄付のお願いをしにいったところ、その横にいた方より、寄附する側にきてみないかと言われた。そして西川氏直属の経営企画室に配属された。
  • 郵政グループでは霞が関の役人たちとの接点も生まれた。より社会との接点をもちたいと西川氏に相談したところ産業再生機構の解散後に、冨山和彦氏によって設立された経営共創基盤を紹介され入社する。
  • 財務三表の勉強をした後、民事再生後に経営共創基盤が出資して傘下に入った福島交通、茨城交通、岩手県北バスの観光部門の新規顧客を増やすことをミッションに0912年バス会社の所属として、最初の8ヶ月は福島交通、その次は茨城交通、その次は岩手県北バスを担当した。
  • 新規顧客が4000人以上増えた福島の成功事例を、容易でなかったものの茨城、岩手へ横展開した。

 

【商品の表現方法】

  • 当時、バス会社で作成されていたチラシはスーパーと同様に値段の安さのみをアピールするものであった。そこで伝え方を変える提案をした。
  • オーケストラの演奏会は同一指揮者・プログラムで一週間別々の会場で実施する。バス会社のツアーも同じで、例えば「富士山を見にいく+いちご狩り」という組み合わせがコンサートでいうプログラムとなる。
  • 旅行の時間がいかに「人生を豊かにするのか、感動を呼ぶのかを伝える」コンセプトでチラシデザインを変更した。その制作は東京フィル時代に協力してもらったデザイナーにお願いした。震災前の10年の時代ではセンセーショナルな宣伝方法であった。他のバス会社からも真似しても構わないか問い合わせも殺到した。
  • 伝え方を変えただけで、それぞれのバス会社で4000人ずつ新規顧客が増えた。音楽と同様に旅行は天候も変化するし二度と同じ景色は見ることができない。時間芸術である音楽のプロモーションの考え方を旅行に適用した試みである。

 

【現在の活動】

  • 13年5月に東京フィルに戻り4年前にアーモンドを起業。11月より5年目がスタート。
  • アーモンドのミッションは、①クラシック音楽の魅力をもっと多くの人に感じてもらい、②音楽をきっかけとした出会いの場を多く生み出し、③人との出会いだけではなく、文学、絵画など、音楽を通じて様々な芸術との出会いを実現する仕組みを提供することである。
  • 日中国交正常化50周年記念慶典の支援
  • クラシック音楽の世界で言うと中国の進歩が著しい。
  • 来年は日本とベトナムの外交関係樹立50周年であり、ベトナム国立交響楽団のツアーを予定している。福島も行く予定である。
  • 再来年は国際広報マーケティング部長を兼務している深セン交響楽団の企画を計画中である。

 

 

【コメント】

佐藤 音楽は非常に大事だと思っている。特に地方は芸術を体験できる機会がが少ない。体験の重要性とともにそれを伝えていくことも大切である。クラシックと言われた瞬間に、自分とは無縁の話であると思う人が多い。自分自身、星野リゾートで営業をやっており、付加価値をみせていくことの重要性を追求していた。価格を下げるのは最後の手段。基本は付加価値を高めて、価格に反映させていくことである。付加価値の見せ方や、見せ方のステップは特に大事で、例えば料理も、何にも聞かないで食べるのと、いろんな情報を聞いた上で食べるのと、消費者の感じる「おいしさ」が異なる。クラシックにおける付加価値の上げ方も、もそういうところを踏まえると、分かりやすいと思っている。バス会社で実施した価格戦略の話はわかりやすい事例でもあり非常に面白かった。芸術というものを町でやっていきたいとも思っている。自分自身も合唱をやっていた。自分自身も合唱をやっていた経験があり、一緒に合唱をしていた人間は、今は指揮者になっている。若いうちに音楽に触れるというのは、その先の人生にも良い影響をおよぼすと思っている。


 

  1. 比企宏之

LINE Corporation  

Technical Evangelism Team Manager・OMO販促事業推進室

LINE株式会社 LINE PayCEO室 シニアアドバイザーを経て現職

Note

比企宏之@LINEの中のアフターデジタル推進の人

記事

動画

 LINE Developers Community REV UP 2021

 

【自己紹介】

  • LINE以外にも、①クラウド型のPOSシステムを提供するポスタス(パーソルグループ)、②日本の体験サービスをeチケット化し訪日外国人観光客に配信するJapanticket、③MaaS企業、④リテール企業等のDX戦略支援を行っている。
  • 鎌倉幕府の13人の一人である比企能員NHK大河ドラマでは佐藤 二朗が演じる)の子孫
  • LINEにおける役割はエバンジェリストというよりアルケミスト(錬金術師)、マジックキャスター。売上高1000億円以上の企業支援、コミュニティ関連、API関連のところまでカバー範囲広げている。

 

CXの文脈でDXは考えるべき】

  • 企業側(サービス適用側)はLTVを高めるために顧客との関係性を持ちたい。しかしながら顧客の立場から考えると、意味のあるCXにフリクションレスに参加し、繋がっていくことが望みである。ここにユーザ側とサービス提供側での意識のズレが発生している。
  • 日本では”DX”という言葉はデジタル化の文脈で使われることが多い。本来は、”DX”=”CX (顧客体験)”EX(顧客体験を支える従業員体験)のことであると考える。
  • 日本はDXを考える時にCXの意識が薄い。それ故、DXを開始する時にビジョン・ミッションが希薄なまま「見える化」から始めがちであり、結果も伴わないことが多い。日本人の経営者はQCD重視であることが原因の一つである。一方、グローバルで成長している企業経営者は意味性・顧客体験に重点ポイントを置く。それ故、価格戦略も日本型の積み上げ方式と異なり顧客へ提供する総合的な価値で決まってくる。

 

【日本企業におけるCXの捉えられ方】

  • 経産省の管轄独法であるIPAが発行しているDX白書では下記のように記載されている。「DXを推進するためには顧客への価値提供の実現を指標として評価をすることが重要であるそのため、顧客体験価値の向上に資するKPIを設定し、その評価結果に基づいて人材や投資などのリソース配分を改善していくことが大切である。」(DX白書 8)しかしながらこのような見識を持って経営に取り組んでいる事例は日本では少ないように思える。
  • CX(顧客体験価値向上)に関する日米のKPIを見ると、米国企業の2%が毎週見直しているのに対して、日本企業は2.1%に過ぎない。しかも55.6%の日本企業はCXの評価がなされていない(DX白書 P.7)。そもそも日本企業はKPIベースの経営に関しては取り組みが進んでいない。

 

【共通サービス・個別サービスの文脈でLINEを活用した旅中のCXを考える】

  • UXは「個々の製品サービスを利用した際の体験価値」である。個々のサービスで体験価値を目指すという意味である。一方、CXは「一連の製品・サービス全体を利用した際の体験価値」である。
  • DX文脈において旅中における共通サービスは検索エンジン、 SNS、動画サイト、オンラインMTG、決済などがある。個別サービスは今回の勉強会の主テーマの一つである。
  • LINEを共通サービスとして捉えると下記のようになる。①LINEは日本国内の生活インフラとして定着している。国内MAU(毎月使ってる人)は9,200万人(KPI)を超えている。つまり日本の人口の約70%以上が毎月1度は利用しているプラットフォームになっている、②居住地は全国の人口分布に概ね等しくなっている。男女比では女性比率が若干高い、③年齢別でも10代が1%20代が13.9%30代が17.9%40代が19.1%50代が15.0%60代以上が26.9%となっている。高齢者が多いのは孫とのやりとりの機会にLINEがよく使われるからである。ソフトバンクグループに入った後も、ドコモ、KDDは孫とのやり取りでLINEを顧客から要望されるので両社の携帯でLINEは使用できる、④LINE公式アカウントは9200万人以上に対してクーポン配布が可能なプラットフォームとなっている。LINE公式アカウントは現在37万アカウント。業界別では、全体の17%が飲食業界、16%が小売、13%が美容関係、7%が医療系と広がりを見せている。特にアカウント数は213月から223月に向けて前年比35%伸長した

 

  • LINEを個別サービスとして捉えると、APIの利用LINEミニアプリ10月現在で5000本を認定リリース)の提供などがある。①APIを利用すると、メッセージ送信・チャット、チャットボット、LINEログイン、IoT、音声アシスタント、LINE決済、ブロックチェーンなどの機能を利用することができる、②LINEミニアプリはAPIを使えるだけでなくLIFFの機能も使用できる。すなわちLINEユーザーIDの取得、IDに紐づくユーザ情報を利用した機能の提供などが可能となる。つまり予約、決済、顧客管理、モバイルオーダーなど様々な機能の実現が可能となる(参考:LIFFとLINEアプリの相違)。Service Messageトークルームが解放されていることも大きな特徴。また、LINEが認定したLINEミニアプリだけがLINEで公開されているため、ユーザはLINEミニアプリを安心して利用できる。

 

 

【個別サービスとしてのMaaS

  • JR西日本は「ローカル線に関する課題認識と情報開示について」、JR東日本は「路線別利用状況」でローカル線の利用状況を開示している。JR西日本は、下記のように地域との関係性に関して述べている。「地域の皆様と課題を共有させていただき、「地域公共交通計画」の策定などの機会に積極的に参画し、 地域のまちづくりや線区の特性・移動ニーズをふまえて、鉄道の上下分離[1]等を含めた地域旅客運送サービスの確保に関する議論や検討を幅広く行いたいと考えています。 なお、当社では様々な移動手段に関するソリューション開発にも取り組んでおり、イノベーション の力も活かしながら持続可能な地域交通体系の実現に貢献してまいります。」(ローカル線に関する課題認識と情報開示についてより)
  • LINEのUseCaseサイトを自分はプロデュースしている。MaaS[2]に関して下記のユースケースを公開している。
    • 観光×MaaSLINEが提供するAPIのみ使用)
    • イベント×MaaS(LINE APIに加え「駅すぱあと」で知られるヴァル研究所が提供しているmix way APIを利用)
    • MaaS Tech Japan(代表取締役 日高洋祐 18年創業 資本金 1.98億円)とは一人ひとりに合わせた移動体験を提供するユースケースを公開した。LINE21年よりMicrosoft およびMicrosoft Azurのパートナー企業と全国のMaaSの普及拡大を支援するための共同プロジェクトを開始している。これはその成果の一つである。MaaS Tech Japanが提供するTralSARE(鉄道、バス、タクシー、飛行機など交通に関する多様なデータをシームレスに共有し、分析・予測することを可能にした移動情報統合データ基盤)を活用し下記を実現した。①エンドユーザー視点では、周遊チケットの購入や交通機関の運行情報の確認に加え、パーソナライズされた情報をLINEに集約すること、②サービス提供者視点では、交通・⼈流のデータと行動データを統合・分析することで、利⽤傾向や混雑状況を踏まえた移動を快適にする旅の提案など、エンドユーザーに⾏動変容を促すこと、③UXとしてのLINEを活用することによってMaaSの利用ハードルを下げること(LINEはフロント、サービスは各社が提供)

 

【東急のDX

  • 東急は鉄道沿線で集中的に店舗・サービスを展開。沿線で暮らす顧客に対してさまざまな接点を確保しながら、ロイヤリティの高い顧客の醸成を目指している。中でも「東急ポイント」の制度は、顧客獲得・関係維持のための重要ツールである。東急ストアでは、7年間かかってネイティブアプリでは9万人の登録者しか集められなかった、これに対してLINE1年間で20万人の登録者を記録した。LINE APIを活用することによって開発のスピードアップ・コスト低減も可能となった。結果として東急グループ全体でLINEを活用することになった(Impressより)。
  • 東急はLINE上で楽天IDとの連携も実現した。このことにより1回の画面提示で東急・楽天の両方のポイントが貯まるようになった。
  • 東急グループは、224社5法人(2022年3月末時点)で構成されている。そこでは東急ストア、東急電鉄、東急不動産、東急ホテルズなど、それぞれの事業特性に合わせた顧客接点やデータベースを構築している。これらのデータベースの連携に「LINEユーザーID」を活用した。このことによりより、グループ一体となったマーケティング分析基盤が構築できた。
  • 西日本鉄道、JR九州、京阪電気鉄道など、LINEをフロントにしたシステム統合によるUX向上の取り組みが交通系では進んでいる。

 

【結論】

  • ITが主役ではなく観光資源を含めたCX(顧客体験)が重要である。しかしながらCXITの活用無くしてありえない。今まで諦めてきた顧客体験の拡充をITも使い具現化する。顧客と繋がり続けるCXの追求が課題となる。
  • 事例  ナイキではテクノロジーを活用することで、消費者とのつながりを深めることを目的に17年に「Consumer Direct Offense」戦略を策定。「イノベーション」「スピード」「消費者との直接的なつながり」を、それぞれ2倍にするTriple Double戦略が中核の一つである。顧客接点をより深いものにするべく、「SNKRS」「NRC」「NTC」「NIKE APP」と4つものアプリを提供。

 

【コメント】

佐藤 比企さんを、見た瞬間に鎌倉殿の13人を思い出した。比企繋がりでは、先日も比企郡(滑川町、嵐山町、小川町、川島町、吉見町、鳩山町、ときがわ町)の首長が磐梯町のDXの視察に来た。磐梯町は21年7月に脱DXを宣言した。DXは手段であり、CXEXの実現が本質的なことである。そのために、まず職員の気持ちを変えていく必要がある。行政は堅いので、堅い職員の気持ちを変えていかないとDXはできない。ましてや、顧客体験の提供、住民に対して提供するサービスの立案はできない。①住民に魅力的だと思う体験をさせるかということ、②それによって住民が幸せになっていく仕組み、この2つを重視している。つまりリアルに困っていることを職員に伝えていくことが非常に大事だと思っている。それ故、EXは重要である。職員がどういう考え方で困っている人たちに対応するのか、どういうふうにしていけばどういうサービスを提供できるのかというところを考えていくというのは非常に大事である。これはサービスの付加価値化を意味し、付加価値をどう提供していくのか・伝えていくのかということが肝となる。企業はCX高めることにより企業価値を高める潮流ができている。星野リゾートも、CSSCustomer Satisfaction Survey = 顧客満足度調査)等を参考に議論を繰り返してサービスを変えていく仕組みを構築している。MaaSも磐梯町で実施している。高齢化が進み田舎もだんだん車を使えない住民が増えているので、交通アクセスを繋ぎリアルなコミュニケーション基盤を維持することの重要性は高まっている。


 

4.島口哲朗

サムライアーティストかむゐ  代表

サムライメソッド剱伎道 代表 

  • 1998年『剱伎衆かむゐ』を創設、主宰を務める。
  • 形式美と芝居と武術を融合したサムライアーティスト。
  • 主な俳優活動として、Q・タランティーノ監督映画『KILL BILL vol.1』では出演(CRAZY88-"MIKI"役)& 殺陣指導・振付(雪の庭の決闘などの日本パート)F.ケネディーセンターをはじめとするKAMUIアメリカ公演、イタリア国立ペルゴラ劇場公演やヴェッキオ宮殿での演舞、ロシア国立エルミタージュ美術館公演などのヨーロッパツアー、アルマーニホテルドバイ、ブルーノートなどでのディナーショー、短編映画主演など多岐にわたる。
  • 2012年、独自のSAMURAI道場『剱伎道』を創設。日本、イタリア、ポーランド、アメリカ、リトアニアなどで道場を展開中。企業イベントでの公演や、チームビルディング研修・講義なども行う。
  • 2018年10月イタリアフィレンツェにて、日本人初のコンソナンゼ文化芸術賞を受賞。
  • 2019年10月には『会津若松市観光大使』、『福島県あったかふくしま観光大使』に就任。
  • 日本文化・芸術としての「SAMURAI」を世界に発信し続けている。

 

【動画】

師匠から弟子へ。文化・芸術、その魂を繋ぐ。

Diamond Route Japanの2020年バージョン  海外から青い目のサムライも参加

【サムライメソッド剱伎道】

  • Let's be a Samurai 「礼」に始まり「礼」に終わる、年齢、性別、国籍、問わず誰にでも楽しめるオリジナルサムライメソッド『剱伎道』イメージPV

【アーティストとのコラボ】

 

【サムライアーティスト(商標:登録6470258)とは】

  • 殺陣・チャンバラなど時代劇の花形のシーンの殺陣をやっていた。しかし殺陣は時代劇がないと成立しない職業である(11年の水戸黄門の放映終了後、民放では時代劇はほとんど制作されていない。時代考証を考慮した撮影セットのコスト高、殺陣師の高齢化、視聴者層の乖離によるスポンサー離れなど様々な要因がある)。
  • 殺陣を抜き出して、武術(マーシャルアーツ)と伎芸(パフォーミングアート)を融合させて昇華させたのがサムライアーティストである。

 

【世界的認知のある言葉であるサムライ[3]

  • 今まで3035カ国、約150都市を訪問した。そこで「サムライ」という言葉が通じなかったところがなかった。その言葉が正しく認識されているかは別として、世界でサムライを知っている人々が大勢いることを誇りに思って、日本人として活動している。
  • サムライが何であるかと考えた場合、サムライは世の中にはすでに存在せず、かつ自分自身も侍[4]ではない。ただ、サムライとは「人生をより良く描くアーティスト」であると自分は思っている。かつては、責任と誇りと死ぬ覚悟を持って政治・経済を司った侍の世の中が実際に存在し、その中で文化も形成されていった。そこでは武道だけでなくて、芸術面・教育面の文化も侍が作ったものが多く、未だに当時の侍が世界にリスペクトされていることを感じている。

 

【サムライとニンジャの違い】

  • 両者ともコンテンツとしてのポテンシャルは高いと言われている。しかしながら忍者はファンタジーに近い。忍者も武術として引き継がれ世界的な認知も高い(武神館など)。しかしながらハリウッドの影響もあり人気は高いものの、外国人にとってニンジャはリスペクトの対象とはならないようだ。
  • 一方、サムライはリスペクトの対象である。パフォーマンスが自分の仕事の大きな部分を占めるが、日本・サムライの文化・歴史など精神性のところへの大きなリスペクトを感じるようになった。その結果、かつての侍がそうであったように、自分自身「人生の生き様を死に様でどのように見せるか」、「どのように人生に責任を持って生きていくか」というところに考えが至るようになった。

 

【パフォーミングアーツ】

  • 自分自身がやっていることは“performing arts”と武術”martial arts”の融合である。どちらにも”art”という言葉がついていている。それゆえ自分自身、人生を彩るアーティストなのではないかと考えるようになっている。
  • 自分は世界中の富裕層を相手にする機会が多くなっている。富裕層は余暇で旅行をするというよりは、そこの土地・文化・人などリアルなものに触れることによって、気づきを得て、自分の人生に活かしたいと思う人が多いように感じている。
  • 大学進学時、はじめは物書きになりたくて日大芸術学部に入学した。そこで真田裕之氏も(ラストサムライにも出演)出身である、当時日本で唯一のチャンバラを真剣にやる日芸殺陣同志会に入部した。文化部なのにもかかわらずトレーニングが激しく、就職難でもあったので当初は何でこのご時世にチャンバラをやるのか理解できなかった。ところが4年間続けるうちに、その活動自体に対して誇りを感じるようになってきた。「人と真剣に向き合う」美しい表現形式であるとの考えに至った。侍は政に対して「命がけで全力を尽くして」取り組んでいた。並々ならぬ責任と誇りと覚悟がそこにはあった。この部分をクローズアップすることは、現代にも活かせるのではないかと当時感じていた。
  • 大学卒業時に機会があって歌舞伎の世界に参加した。当時三代目の市川猿之助(現猿翁)氏がスーパー歌舞伎を創り広げていた。そして、出演することになる。出演を通じて歌舞伎界の家柄出身でなくても特殊技能があればその世界で働けることを学んだ。その後、日本の伝統芸能、能楽、和太鼓や津軽三味線などのジャンルとも出会う。それらを生業にしている方々は日本の伝統を今もなお命懸けで護っているにもかかわらず、社会に浸透してない現実も直視した。猿之助氏はスーパー歌舞伎、勘九郎氏はコクーン歌舞伎など、歌舞伎を現代にも理解される形に変えていこうというムーブメントが起こっていった時でもある。
  • テレビの時代劇は無くなりつつあり、時代劇がなければ殺陣師という職業は成り立たないと自らを模索した末、剱伎衆かむゐというチームを創設した。しかしフリーのアーティストには仕事などない。歌舞伎の世界にも誘われていたが、自分に賭けて剣一本だけ持ってかむゐメンバーとアメリカに行く決断をする。就労ビザを持っていなかったので、大道芸をやっていた時にサンタモニカで警察に捕まったこともあった。
  • 海外の観客はパフォーマンスをしている自分を見てまさに日本人を認識する。そこで海外に出て改めて自分自身が日本人であることを強く認識することになる。これは思ったより責任重大であると考えるようになった。なぜなら、当時としては、そこにいるほとんどの顧客にとって日本人と出会う機会が極めて少なかったからである。それ故、自分の表現とか佇まい、言動など全てに責任を持たないといけないと考えるようになった。ある意味、日本人代表になってしまうのだから。

 

【ハリウッドへ】

  • 今から24年前、かむゐを結成した98年。まさにストリートパフォーマンスをしていたところでクエンティン・タランティーノ監督と出会う。そして5年後にキル・ビルという映画で再会することになる。当時、もちろん芸能事務所などには所属しておらず、一人のフリーの日本人としてハリウッドに飛び込むこととなった。多様な人種が参加するものづくりの現場で様々な影響を大きく受けた。特にカラーズの俳優、チャイニーズアメリカンのルーシー・リューや黒人のサミュエル・L・ジャクソンなど人種差別を受けながらハリウッドでのしあがってきた人たちが、一番興味を示したのは私のルーツや、日本の文化・歴史であった。彼らは、歴史のある日本のことをリスペクトしており、サムライを通じて日本の文化・芸術を広める仕事はハイカルチャーだから、「何で哲朗のような表現者がそんなに食えていないのかわからない」とよく言われた。
  • 彼らが言ってくれていたのは、「業界で売れる」ということよりも「何があっても負けないで」というシンプルな言葉であった。日本の文化・歴史、私のやっている表現活動をリスペクトしているし、友人としても好きだし、「必ずまた再会しよう」ってことをすごく強く言ってくれていた。
  • その時も歌舞伎の時のように、ハリウッド=映画の世界で生きていくか迷った。様々なプレッシャーがある中で、一度原点に戻り、自分で何ができるのかを考え、剱伎衆かむゐ(商標:登録5987652)というチームをサムライアーティストとして再結成した。サムライのパフォーマンスは基本的には人を断ち切る、人を殺す表現である。ただ自分は、まさにパンデミックとか戦争で人々が分断されてしまったこの世の中で、日本の精神性をサムライの表現や道場で伝えることでむしろ人々を繋ぎたいと思っている。相互尊敬し、文化芸術交流を剣で繋ぐ。それだけ世界の人々は侍や日本の歴史・文化を尊敬してくれている。

 

【目に見えないコミュニケーションの達人 = サムライ】

  • 侍は命をかけて、アナログにコミュニケーションをとる達人たちであったと思う。日本人は目に見えないものを感じる、感じさせる力がある。例えばサムライ表現でいうと「構え」、「身勢」などあるが、その中に気構え・心配り、位など目に見えないものがある。熟練者になると、目に見えないものを、「目に見えるような表現」や「感じさせるもの」として伝えることができるようになる。自分達はパフォーマンスの中で、まさに「目に見えない表現」こそ感じてもらえるようなアプローチをしていかなければならない。

 

【殺陣ではなくオリジナルのジャンルを作っていった理由】

  • 時代劇の殺陣のプロは斬られ役であり「回って斬られる」、「飛んで斬られる」、「派手に斬られる」など手法ばかり意識していて、対峙する相手とのコミュニケーションより自分の都合で動いている表現が多いように感じた。さまざまな人達と剣を通じて交流してきた自分たちは①オリジナルジャンルとしてのアーティストブランディングの価値を高め、②プラットフォームとしてのメソッド(型)を作っていくことを目指すようになっていった。
  • ①日本だけでなく、80億人いる世界の人たちと繋がれること、パトロンベースのビジネスだけではなく、メソッドを作って横展開が可能な高付加価値で永続性のあるビジネスモデルの構築を20年前のキルビルの時から構想している。サムライメソッド、剱伎道(けんぎどう)は、剣が”martial arts”を意味していて、伎は技術ではなく歌舞伎の伎つまり”performing arts”を表している。道は、”way of life”、すなわち人生の道にもつながる。自分自身が学びながら、人と出会い、その精神性を育んでいきながら、道の場である道場を広げている。自分自身は新陰流剣術を学んでいる。これは人を活かす剣であり、活人剣[5]である。江戸時代、おそらく世界的に見ても夥しい武器を所持していた民族であった。武器を持ったサムライが世の中を治めているのにもかかわらず平和であるという不思議な現象があった。
  • 江戸が終わった瞬間に世界でサムライが増えていった。今では、サムライを名乗る武道家たちが現在世界に一億人近くいる。日本で侍が消えたのに、世界ではサムライが増加している。これは面白い逆転現象である、日本を世界が求めている現われでもある。
  • 日本はコンテンツの宝庫だと思う。日本人が気づいていないコンテンツを発掘しながら、世界が求める日本の歴史・文化を伝えていきたい。伝統の人も、伝統の中だけに閉じこもっていると潰えていく。現代人が今の都合だけで生きていくと未来に何も遺せない。未来を構想しないでただやりたいようにやってしまうと意味の無いものになってしまう。
  • サムライメソッドは、「礼にはじまり礼に終わる」。楽しむマインドを醸成しながら、年齢、性別、国籍、宗教問わず人と人が出会い、「respect each other」と相互理解をする場を作る。もっとも宗教・人種の問題は今戦争が世界各地で起こっているように綺麗事だけでうまく行かないことも事実である。「自然との共生」、「人との共生」の中で日本人の精神性をサムライを通じて伝えること、それを楽しみながら世界に発信していくことが自分の夢である。日本は皇紀2780何年と続いている悠久の歴史がある。自分の活動はその中でのひとつの役割だと思いたい。「人と人とをつないでいくこと」で、世界平和の実現に寄与することを目指し日々剣を振り続けている。

 

【サウジアラビア】

 

【コメント】

佐藤 島口氏との出会いは福島県が震災・原発被害が厳しい状況になってインバウンドが消失し、この打破に取組んでいる時であった。当時はスキー場側にいたので、福島県のスキー場を取りまとめして県と一緒になって海外に売り込んでいく活動をしていた。会津はラストサムライの地だということで、サムライのカッコじゃなくて、サムライスピリッツを売りにしようと考えた。サムライの精神性に着目し「最後のサムライの地としての会津」のプロモーション考えた。その当時県の担当者であった藤井氏が島口氏と連携をして様々なVTRを作成した。それが、海外で見られて福島、会津の認知が高まった。私も謡[6](うたい)をやっている。謡は能の歌の部分であり口伝である。相手がどういう考え方を持っていて、どういうことでやっているのかということを集中して聞き感じていかないと習得できない。録音を聞いても感じることはできない。その場で聞いて、リピートして教えられていく、その繰り返しである。口伝の文化は日本独特で非常に大切である。謡からは日本の優れた精神性を学ぶことができるので、若い人にも体験してもらいたい。能・謡をはじめたきっかけは、海外に行った時に、外国人からパフォーマンスを求められたからである。日本が海外に出てくために、日本の精神性を伝えていくのは非常に大事であると思っている。島口氏にはリスペクトをしており、これからも一緒にやっていきたい。

 

 

 

 

[1] 上下分離はヨーロッパでは主流である。日本の事例としては岐阜県の養老鉄道2018年より)、神戸高速鉄道などがある。徳島県海陽町と高知県東洋町を結ぶ阿佐海岸鉄道DMV(デュアル・モード・ビークル)は、モードチェンジをすることによって線路と道路両方と通行できる交通機関である。18席で運行されている。

[2] 日本版MaaSの推進(国土交通省)

[3] a member of a powerful military class in Japan in the past (LONGMAN Exams Dictionary)

[4]  武芸をもって貴族や武家に仕えた者の称。平安中期ごろから宮中や院を警固する者をいうようになり、鎌倉・室町時代には凡下ぼんげ(庶民)と区別される上級武士をさした。江戸時代になって幕府の旗本、諸藩の中小姓以上の称となり、また、士農工商のうちの士身分をいう通称ともなった。武士。(デジタル大辞林)

 

[5] 兵法(剣術)の理想として柳生宗矩が提唱した思想で、「本来忌むべき存在である武力も、一人の悪人を殺すために用いることで、万人を救い『活かす』ための手段となる」というもので、戦国時代が終わりを迎えた際、「太平の世における剣術」の存在意義を新たに定義したもの

[6] 能の声楽部分が「謡」です。シテやワキなどの登場人物によって謡われるものと地謡(じうたい)によって謡われるものがあります。せりふにも独特の節回しがあり、せりふも含めて声によって謡われるもの全体を「謡」と呼んでいます。謡の発声は、腹式呼吸を基本とし、あごを引き、のどぼとけを下げるようにして、息とともに声を出します。絶対的な音高は定められていませんが、全般的に音の高さは低めで、女の役でも男の声でそのまま謡われます。謡の文章は古語で書かれているだけでなく、和歌や漢詩、王朝物語などの引用が盛り込まれているため、現代人にはやや意味が通じにくいところもあります。しかし、そうした文章と発声法や節回しとがあいまって、単なるストーリーの展開にとどまらない、詩的な趣が醸し出されているところにも、謡の特徴があると言えるでしょう。(日本芸術文化振興会WEBサイト https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc9/kouzou/musical/utai01.html

ブログに戻る