波佐見焼
【地域】長崎県
(世界最大の登り窯跡の最上部より)
【概要】豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に藩主大村氏が朝鮮から陶工を連れて帰り連房式階段状 登窯を築いたことに端を発する。長崎県の波佐見町、川棚町、東彼杵町。17世紀後半は東南アジア向けに輸出を行う。18世紀になると「くらわんか手」という廉価な日常食器の大量生産が始まる。当時の中尾上登窯は全長160mを超え世界最大の登り窯であった。江戸時代の終わりごろから明治大正にかけてコンプラ瓶という海外輸出用の酒や醤油を入れる瓶が生産される。このように波佐見焼は高価であった磁器を大規模な登窯を築窯することによって、低価格化に成功。磁器の普及に貢献した。透かし彫りの福本正則が有名。技法は呉須、線彫り、透かし彫り、浮彫り、飛びかんな、イッチン、編み上げ手、ほたる手、はり付け、櫛目、印花、墨はじきなど様々な技法。年間の観光客は80万人その約4割が春の陶器市に訪れる。特徴がないのが特徴と言われるように様々な種類の焼物を生産。
【技法】
染付(そめつけ)
染付は、磁器の加飾技法の1つで、白地に青(藍色)で文様を表したものを指す。中国・朝鮮では青花と呼ばれる。釉下彩技法の1つである。釉下彩とは、磁器に釉薬(うわぐすり)を掛ける前の素地に文様を描く技法である。呉須(ごす)と呼ばれるコバルトを主成分とする絵具が使われる。一般的には、磁土を一度素焼きしてから、呉須で図柄を描き、その上から透明釉を掛けて再度焼成(本焼き)する。呉須は焼成後は青(藍色)に発色する。ただし、日本の初期伊万里の磁器のように、素焼きをしていない素地に呉須で図柄を描き、その上から透明釉を掛けて焼成する技法(生掛け)もある。この技法は中国元時代の景徳鎮窯で創始され、朝鮮、日本、ベトナムなどに広まった。日本では17世紀に伊万里焼が作り始めた。 (wikipedia)
線彫(せんぼり)
凹線を素地にじかに彫り付ける技法。釘彫、ヘラ彫、ロクロ線彫などある。
イッチン
土をしぼりだしながら、表面に直接文様を描く方法。イッチンともいいます。白泥を用いる場合は特に白堆ともいいます。
飛び鉋(とびかんな),トチリ
生乾きの素地を破線状に削って文様を施すこと。ろくろの上に生素地をおき、回転している素地に弾力性のある鉋(かんな)や箆(へら)をあてると、飛び飛びに素地の表面が削られる。よって飛び鉋、踊り箆(おどりべら)、撥ね箆(はねべら)などと呼ばれる。信楽ではトチリとも呼ばれている。
印花(いんか)
文様の型を素地に押し付ける方法。型の全面に文様を表して一度に押し付けるもの、小さなスタンプを使って押していくもの、筒状の型を回転させていくものなどがあります。型押しともいいます。
透掘り(すかしぼり)
文様の周辺部分をくりぬいて表す方法。別作りした透彫りの部分を器表に張り付ける方法もあります。
【波佐見町】