木曽漆器(きそしっき)
木曽漆器
【地域】 長野県
【概要】 江戸時代の中期に、中山道を往来する旅人を相手に、豊富に産出するヒノキ、桂、栃などを材料として、曲物、ろくろ細工、櫛といった日常雑器を作り始めたのが始まりで、これらが旅人により京都、大阪、江戸へ運ばれ、認知度を高めてきたといわれる。原材料となる木材は自由伐採であったものが、1708年5月以降「五木伐採停止の令」が出て、存続の危機となった。しかし、当時の代官であった山村家の庇護で、漆器業者へは尾張藩の「檜物手形」を下付され漆器の木地の無代伐採が認められた。元禄の頃には、板物の実用品として人気を博し、寛政に入ると京都、大阪、江戸に「木曽物取次受売店」ができていた。職人達は、技術の上達を図るため、当時技術が高いと言われた輪島へ技法の修得に赴いたこともあった。明治の初め、現在の奈良井駅付近の山間から鉄分を含有した「錆土」という漆との混和に優れた粘土が発見され、堅牢な製品が誕生した。
【代表的な技法】
木曽春慶(きそしゅんけい)
木肌の美しさを活かすため、木曽檜の良質材を選び、下地付けを行わないで最初から漆を摺り込み、木質部まで漆を染み込ませる堅牢な技法。塗漆は、下地をせず、木地に直接精製生漆を繰り返し、「すり漆」した後、精製透漆を塗布すること。木地造りは、丸太を「みかん割り」したものを「へぎぼうちょう」を用いてへぎ、板物又は曲げ物に成型すること。
木曽堆朱(きそついしゅ)
型置き漆の上に幾層もの色漆を塗り込み、研ぎ出しにより斑模様を表現する技法下地は、生漆に錆土等を混ぜ合わせたものを繰り返し塗布することにより「堅地下地造り」をすること。上塗りは、たんぽを用いて精製ろいろ漆を置き、多種の精製彩漆を重ねて塗布した後、砥石、砥炭等を用いて研ぎ出しをすること。仕上げは「呂色塗り」とすること。
塗分呂色塗(ぬりわけろいろぬり)
数種類の色漆により幾何学模様を加飾し塗り分ける技法。下地は、生漆に錆土等を混ぜ合わせたもの繰り返し塗付することにより「堅地下地造り」をすること。 上塗りは、多種の精製彩漆を用いて「塗り分け」をすること。仕上げは「呂色塗り」とすること。
蒔絵(まきえ)
漆器の表面に漆で絵や文様、文字などを描き、それが乾かないうちに金や銀などの金属粉を「蒔く」ことで器面に定着させる技法である。金銀の薄板を定着させる「平文(ひょうもん)または、平脱(へいだつ)」や漆器表面に溝を彫って金銀箔を埋め込む「沈金(ちんきん)」、夜光貝、アワビ貝などを文様の形に切り透かしたものを貼ったり埋め込んだりする「螺鈿(らでん)」などとともに、漆器の代表的加飾技法の一つである。日本国内に現存する最古の蒔絵資料は正倉院宝物の「金銀鈿荘唐大刀(きんぎんでんそうからたち)」の鞘に施された「末金鏤作(まっきんるさく)」であり、これは2009~2010年に行われた宮内庁正倉院事務所の科学的な調査研究によって、研出蒔絵であることが確認されている。