九谷焼

九谷焼

九谷焼

【地域】石川県 

【概要】17世紀の中頃、藩の殖産政策として始められる。有田に学んだ陶工に藩主が焼かせた江戸前期の古九谷、後期の再興九谷、明治以降の近代九谷、現代九谷と時期によって作風が分類される。石川県南部の金沢市、小松市、加賀市、能美市で生産される。日本を代表する磁器の産地である。九谷陶芸村では、問屋、美術館、ショップ、体験コーナ、ギャラリーなど様々な施設が集約している。ゴールデンウイークに茶碗まつりが行われる。

人間国宝に彩釉磁器の徳田八十吉、釉裏金彩の吉田美統、文化勲章を受賞した浅蔵五十吉などがいる。

技法は白地を塗りつぶす青手と色絵に分類される。色絵には黄・緑・青・赤・紫で描かれた五彩手、それに金色を入れた金襴手などがある。細字、青粒、釉裏金彩など新たな技法も生まれている。素材は木地は地元産の花坂陶石を使う。

【技法
青九谷,青手(あおくたに,あおて)
能美市
青手九谷(あおでくたに、あおてくたに)とは、石川県(加賀藩や大聖寺藩)で作られてきた九谷焼のうち、見込み(表面の模様)に青色を多く使った磁器のことである。青九谷ともいう。青色といっても実際は緑色を呈しているし、磁器といっても一般に“半陶半磁”と呼ばれるように陶器のように見える。見込みには動植物・山水・幾何模様・名画などが描かれ、器の表裏を埋めつくす塗埋手(ぬりうめで)で盛り上げて作られ、華麗豪華である。高台(こうだい、底の脚)の中に、「角福」と呼ばれる二重四角の中に福の吉祥字のある銘を持つものが多い。
赤絵(あかえ)
能美市
にじみにくい赤の色絵の具の特性を活かして、器全体に「細描」と呼ばれる細かい描き込みを施したスタイル。赤の色絵の具のほかに、金の飾り付けで華やかに彩られた作品が多いことも、赤絵の特徴。背景を赤で塗り埋めた器に、金で絵付けしたスタイルは、赤絵のなかでも特に「金襴手」と呼ばれている。作品の見どころは、職人の高い技術が要求される「細描」の緻密な絵付けと、金の飾り付けによる、絵柄と色の華やかな取り合わせです。九谷焼の赤絵は、京焼の名工: 青木木米(あおき もくべい)の指導により金沢の春日山窯で制作された作品がもととなり、その後、宮本屋窯で腕をふるった飯田屋八郎右衛門(いいだや はちろうえもん)が細描の様式を確立し、近現代の赤絵作品のルーツとなった。
五彩手(ごさいて)
能美市
「九谷五彩」と呼ばれる、緑・黄・紫・紺青・赤の色絵の具を自在に活用して、絵付けされたスタイル。5色の色絵の具をフル活用することから、「五彩手」とも呼ばれる。器の中央に、作品のモチーフを絵画的・写実的に描くことも、色絵の特徴。 作品の見どころは、屏風や掛軸から器へ抜け出してきたかのような絵画を描いた、熟練された絵付けの筆づかい。 特に色絵の古九谷は、中国の明王朝末期から清王朝初期にかけての色絵磁器がモデルになっているとも言われ、大皿 (大平鉢) から小皿 (端皿) に至るまで、中国風の人物・動物・山水 (風景) を見事に描写した名品が数多く残されている。
祥瑞(しょんずい)
てしごとクラブ
祥瑞は、中国明代末の崇禎年間(1628~1644年)に景徳鎮窯で作られた上手(じょうて)の染付のことをいう。 祥瑞は、日本のからの特定(小堀遠州及びその周辺と推定されている)の注文により作られたもので、古染付とは異なり、上質の高嶺土(こうりょうど)を使った精白な素地に、地呉須の最上手の浙青(せっせい)で絵付されたため、鮮やかな瑠璃色をしており、染付磁器の最上とされている。 祥瑞は、緻密に描き込まれた地紋と捻文や丸紋などの幾何学文を多用した、いわゆる祥瑞紋様でが特徴で、一部の器の底に「五良大甫 呉祥瑞造」の銘をもったものがあるためにこの名がある。
青粒(あおちぶ)
てしごとクラブ
(写真は白粒)
大正時代に広まった技法。地色の上に、青粒と称する細かい緑色の点の盛り上げが並び、重厚さと品の良さを伝える。青粒の大きさや色、間隔を均一にするには、熟練の技を要する。 青粒のほか、白粒、金粒もある。
九谷毛筆細字(くたにもうひつさいじ)
能美市 
主に和歌などの古典文学を極細の毛筆で磁器に描き込む技法。明治以降、九谷焼の繊細な絵付けに見合う表現として石川県の南部地方で独自に発展してきた。
現在まで一世紀以上に亘り、田村家に一子相伝の技法として受け継がれている。細字はマンガンを原料とした釉薬で描かれた後、約800度で焼成。粘性のある釉薬を用いて極小の文字を描くことは難しく、技術の修得には長い年月を要する。
立体で曲面の多い素磁に絵付け全体とのバランスを図りながら、細字を描く作業は裸眼で行う。また、器の内側に描く際は、縦の線は下から上に引くなど通常とは異なる書き順を用いる。
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