香川漆器 (かがわしっき)
香川漆器
【地域】 香川県
【概要】 香川漆器は江戸時代に藩主の保護のもと発展。1638年水戸から松平頼重公入封し漆芸や彫刻を奨励して多くの名工を育てる。その中でも始祖と呼ばれる玉楮象谷は蒟醤、存清、彫漆など中国・東南アジアの漆芸技術を消化して、日本独特の技法を開発し、さらに新たな技法である象谷塗を開発。その後後藤塗りを創案した 後藤太平、人間国宝に指定された磯井如真・音丸耕堂ら数々の人々によって伝統的技法が守られている。香川県の高松市、丸亀市、さぬき市、三豊市、観音寺市、木田郡三木町、仲多度郡まんのう町で生産される。蒟醤(きんま)、後藤塗、存清、彫漆、象谷塗など独自の技法を使った味わい深い商品を生み出している。
【技法】
彫漆(ちょうしつ)
むき彫ともいいます。 堆朱は彫刻をした上に漆を塗り重ねるのに対して三彩彫は、木地に色漆(朱、黄、緑)を塗り重ね最後に黒を塗り磨き上げます。そこに文様に応じて色が出るように彫刻をしていきます。写実的な図などが多く用いられ繊細な彫刻と色漆の華やかさが特徴です。
蒟醤(きんま)
漆の塗面に剣という特殊な彫刻刀で文様を彫り、その凹みに色漆を埋めて研ぎ出し、磨き仕上げるもので、線刻の美しさが発揮される。中国の古代漆器の線刻技法が東南アジアに伝播し、タイ・ミャンマーの漆器の加飾技法として定着したものとみられる。 わが国では、江戸末期に讃岐国で活躍した漆芸家・玉楮象谷(たまかじぞうこく)が蒟醤技法を積極的に活用したので、以後、高松には伝承者が多く、名匠が生まれている。
後藤塗(ごとうぬり)
明治維新後に高松藩士後藤太平が考案した髹漆で、梧桐塗とも書く。赤漆の中塗の上に、朱漆に蠟色漆を少し加えて渋味をつけた漆を薄く塗り、指頭で縦横に撫ぜて特殊な 文を表したものである。後藤太平は茶道に造詣が深く、後藤塗は雅致があり、風韻に富む。
象谷塗(ぞうこくぬり)
創始者・玉楮象谷(たまかじ ぞうこく)の名を取り「象谷塗」と呼ばれています。木地に漆の塗りを繰り返し、最後に池や川辺に自生する真菰(まこも)の粉をまいて仕上げます。民芸的味わいが深く、使い込むほどに“つや”が出て渋みを増す特徴があります。
存星(ぞんせい)
存清は、黒地・赤地・黄地等の塗上がりの漆の上面に色漆をもって、適当な模様を描き、その図案の輪郭を絵画の骨描式にケン(のみ)で毛彫りをし、あるいは金泥をもって隅取ったり毛彫りした線内に金泥を埋めたものです。その手法は大別して次の三つになります。
◯模様の輪郭を細かく毛彫りして彫り口に金泥を埋めたもの。
◯模様の輪郭を金泥で骨描き式に筆で線描きしたもの
◯模様の輪郭を細かく毛彫りしたままのもの。
【人間国宝】
磯井如真(いそいじょしん)
香川県高松市出身。香川県立工芸学校(現、香川県立高松工芸高等学校)を卒業後、大阪山中商会で中国漆器の修理などに携わり、技術を習得した。1909年に高松に戻り、製法が絶えて久しかった香川漆器を独自研究を重ねて復興し、近代化を確立した。讃岐漆芸の中興の祖と称される。母校の工芸学校や工芸研究所で後進の育成にもあたっている。1953年には岡山大学教授に就任。香川漆器の創始者・玉楮象谷の蒟醤(きんま)の線彫りを点で彫った「点彫り蒟醤」を創案した。1956年(昭和31年)、重要無形文化財「蒟醤」の保持者(人間国宝)に認定される。1961年に紫綬褒章、1964年に勲四等旭日小綬章を受章。 弟子に三男の磯井正美、太田儔(いずれも人間国宝)などがいる。
磯井星児(いそいせいじ)
漆芸界の“世襲”は全国でも多い。沈金の前大峰、前史雄や、髹漆(きゅうしつ)の増村益城、増村紀一郎が父子2代の人間国宝で、県内にも親子の作家は少なくない。そうした中、磯井は祖父の磯井如真、父の磯井正美がともに蒟醤(きんま)の人間国宝。辻は曽祖父の初代辻北陽斎から続く蒔絵(まきえ)の家系を受け継ぐ。磯井は県漆芸研究所を出て父親の下でさらに修業を積み、彫漆の中島光夫にも師事した。現代的な濃紺や緑で宇宙の世界観を表すなど、時に意表を突く蒟醤の意匠が異彩を放つ。合板のシナベニヤを張り重ねてくりぬく「積層」や、ボール紙を螺旋(らせん)状に巻く「捲胎(けんたい)」の素地を使うのも特徴だ。
磯井正美(いそいまさみ)
磯井正美(1926~ )は、磯井如眞の三男として高松に生まれ、予科錬から復員して後、漆芸の道を志した。《積層》と呼ばれる、科ベニヤをはり重ねて成形した素地。木彫用の丸刀を使って、より柔らかいイメージを出す《蓮華彫り》。金紛や銀粉を用いる沃懸地(いかけじ)の技法。色漆の層による微妙な斑文の色調の変化。角剣による点彫りを応用した《往復彫り》。ぼかし塗りをし、研いで断面を出すグラデーションの効果。一見すると線彫りのような、筆を用いて色漆を埋める摩訶不思議な線の創案。磯井正美ほど、蒟ま(きんま)の表現領域を広げた作家は稀有だ。その作風は繊細華麗な父如眞の作風に対し、「漆の古典的なうつくしさを現代の新しい感覚で生かしたムード派」と作者は自らをとき明かす。蝶や万葉集に出てくる植物など身近な題材を象徴的に取り上げ、波間のたゆたう動きや陽炎のゆらめく空気など通常では捕捉し難い形をモチーフとし、より奥深い心象風景を創出している。こうして1985年、磯井正美は重要無形文化財蒟ま保持者に認定され、父如眞の死後解除されていた21年間の空白を埋めた。
太田儔(おおたひとし)
1936年、岡山市生まれ。 岡山大学教育学部美術科卒業。 在学中、漆芸家・磯井如眞に指導を受け、1953年より11年間、内弟子となり漆工芸を学ぶ。1965年、日本伝統工芸展初入選、以後多数入選を重ねる。 竹を編んだ素地に漆を塗り重ね、その漆面に蒟醬剣(彫刻刀)で文様を彫り、色漆を埋めて研ぎだすという高松に伝わる伝統技法、「籃胎蒟醤(らんたいきんま)」を研究。「布目彫蒟醬」など独自の技法を確立し、漆芸の伝統を受け継ぐとともに新たな領域を開拓した。